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加藤和彦氏に関しての追悼文(?)を興味深く読ませていただいた。部分的には本質を突いた点もあったと思うが、やや表層的にも感じられ、少し残念だ。スージー氏は、彼の音楽の本質を「表層的で浮薄な」アイデアにある、と断じておられるが、果たしてそうだろうか?デビュー作の「帰ってきたヨッパライ」から「イムジン河」、「悲しくてやりきれない」へと続く彼(ら)の創作過程を辿れば、そこに見えてくるものは、自由な創作者たらんとする強い意志だ。それは、流行を発信しよう等という、「表層的で浮薄なもの」と言うよりは、もっとプリミティブで純粋な意志だ。もちろん時代にコミット出来るという計算や自信もあったのだろう。ミカバンドの活動を含めた70年代以降に於いては、どうしてもその先鋭的なファッション性に目がいってしまいがちだが、国内外のトレンドに敏感であったのは、それらを吸収する事で自らの細胞を活性化させ、常に新陳代謝し続ける為だったからではないか?そしてそれが、何時でもポップで革新的、複雑だがシンプルな、彼の音楽を支える栄養となったのだろう。近年の「ミカエラバンド」や「和幸」の活動には、色々意見もあるだろうが、晩節を汚した等とは決して思わない。次第に時代の流れと自分が乖離して行くなか、かれは懸命に格闘していた。だから凡庸な人間と違って、苦しんだのではないか?少なくとも「ビューティフルな老後」のために、音楽してたなんて到底おもえない。報道によるとうつ病を患っていたという。私は彼は自殺でなく、病死だと思ってる。日本人でありながら、極めてBEATLES的であった稀有な存在。時代を意識し続けた彼の唄は、時代を超えて歌われ続けるだろう。
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